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酒井家墓所 公開めざす意義は?

庄内の歴史 触れる機会に

約250年間にわたって庄内を治めていた酒井家。その歴代当主らが眠る墓所の公開に向け、一般社団法人「荘内酒井歴史文化振興会」が設立された。目標は開藩400年を迎える2022年の春。公開にどんな意義があるのか。振興会の代表理事に就いた酒井家19代の酒井忠順さん(45)に聞いた。

―なぜ墓所を公開しようと考えたのですか。
酒井家の始祖は、徳川家康の重臣で「四天王」の一人だった酒井忠次です。その孫、3代忠勝が1622年に庄内藩を開いて以来、酒井家はいまも庄内に残っています。
墓所は、「学校給食発祥の地」として知られ、酒井家の菩提寺だった大督寺(鶴岡市家中新町)の隣にあります。初代忠次から、17代で祖父の忠明まで歴代当主とその妻、家臣らの墓石が並んでいます。
鶴岡の城下町らしさに、庄内藩で育まれた文化や風土があります。その藩の統治に力を尽くした酒井家は、ずっとここでつながってきました。墓所はその象徴だろうと考えました。

非公開は不自然
―これまで、どうして非公開だったのでしょう。
酒井家という個人の所有であることに加え、戊辰戦争で敗れた側だったということも背景にあるかもしれません。表に出すことを避けてきたということなのでしょうか。毎年夏に親族らが集まり、墓前祭を開きますが、鶴岡市民でも知らない人は多いと思います。
ただ、以前から「クローズのままではもったいない」との声はありました。酒井家の歴史的な意義も考えると、公開しない方が不自然だと思っています。

―墓所を公開することの意義は。
墓所には歴史が詰まっています。整備したうえで公開すれば、歴史や文化の保存と活用につながり、次代への継承にも大きな役割を果たせるだろう―。その実現を目標に振興会を立ち上げました。
庄内藩や酒井家とゆかりの深い致道博物館や致道館も近くにあります。墓所とリンクさせて、深く地域の歴史に触れてもらえるようにしたいと考えています。

―資金も必要ですね。
墓所の広さは約7300平方㍍。年に数回、ボランティアの方に手伝ってもらって草刈りなどをしていますが、広いために十分ではありませんでした。
このほか、墓所を囲む塀や石畳を直したり、案内板や防犯カメラを設置したり。理想的な形で公開を始めるためには数千万円がかかると見込んでいます。
振興会で企業や個人の賛助会員を募り、会費や寄付で新年度から整備を進めます。当面の維持管理のため、クラウドファンディングでも300万円余りを調達できました。

市との連携探る
―鶴岡市も開藩400年に合わせて記念事業を計画しています。
私も記念事業の実行委員のメンバーに加わりました。振興会が進める墓所の整備と、市の事業との連携も探っていくつもりです。
墓所を守り、継承していくのは酒井家19代としての責任と使命。その自覚を持って取り組みます。

さかい・ただより
1974年、鶴岡市生まれ。独協大大学院経済学研究科修士課程を修了。東京都内で勤務後の2006年、郷里に戻り荘内銀行に入行。09年から、家業で地元特産品販売などの松岡物産(現在の社名は荘内藩)の社長に。学芸員の資格を持ち、致道博物館副館長も務める。妻、1女2男との5人暮らし。

(聞き手・朝日新聞社 佐藤孝則)

2020年(令和2年)3月29日(日)朝日新聞29面(山形)『根ほり葉ほり』掲載