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北前船

米の産地として有名だった庄内藩は産米を日本海の船運により大阪・江戸に移送していた。1672(寛文12)年に西廻り航路が開発されるとともに、日本海航路は当時の経済流通の大動脈として発展し、酒田港は物資の移出入の拠点として繁栄したのである。

最上川の船運の拠点だった酒田港には年3,000隻にのぼる船の出入りがあり、船問屋が軒を連ねて盛んな取引が行われていた。

当時、瀬戸内海から北陸を経由して松前まで就航した輸送船が「北前船」である。北前船は単に物資の移送だけでなく、各地の産物を売買する商船としても活躍した。

今も昔も物流の大切さは変わらないもの。きっと物資物品だけでなく、各地の文化や歴史、食から芸術に至るまであらゆるモノを運び、人と人の交流の大動脈としても機能していたのだろう。

現代は陸路・空路含めて様々な移送・移動の手段があるが、その時代その時代に合せて先人は工夫と苦労を重ねて人生を生き抜いてきたのである。先人の努力の元に今があることを我々は決して忘れてはならない。

 Bloom 2020.2 vol.86 知新-新しきを知る- 第15回