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記念事業の成果に期待

-山形新聞社説(2020.3.25)より-

酒井家、庄内入部400年

旧庄内藩主酒井家の入部400年記念事業実行委員会(委員長・皆川治鶴岡市長)が鶴岡市に発足し、2年後の筋目の年に向けて本格始動した。酒井家は1622(元和8)年の庄内入部以降、廃藩置県を経て今に至るまで各藩主・当主が生活の拠点を移すことなく約400年にわたって鶴岡の地で歴史を刻み、文化を伝え、教育を振興させ、そして産業を興した。鶴岡固有の歴史を振り返りながら未来のまちづくり、人づくりにつながる記念事業となるよう、その内容を十分に練り上げていきたい。

酒井家の祖は、徳川四天王の筆頭とされた家康の重臣忠次。3代忠勝が庄内藩主として入部し、廃藩置県に至る1871(明治4)年まで庄内を治めた。それ以降も歴代の当主は、留学などの期間を除き鶴岡を生活の拠点にしている。18代に当たる現当主の忠久さんは、致道博物館長として国宝や重要文化財を含む貴重な歴史資源を保護しながら地域文化の振興に尽力している。江戸の初期から令和の現代に至るまで、旧藩主家が同じ地域に根差している例は全国でもまれである。

庄内藩校致道館から受け継がれている「庄内論語」は、現在も小中学生の教育に活用されている。藩校が開校してから200年以上過ぎた今の時代も、致道館の教えは鶴岡の教育の原点として価値を保ち続けている。

庄内藩は戊辰戦争で敗軍となった。敗れた側の士族は、全国に離散するのが通例だった。しかし庄内藩士は刀ややりをくわに持ち替え、月山の麓に広がる松ヶ岡で開墾事業をスタートさせた。桑園を造成し、養蚕事業を興して製糸工場を建設した。当時のシルク産業は今でいうITのような最先端産業だったという。まさに一藩総出の大プロジェクトであり、庄内藩の家臣団による殖産興業だった。酒井家と旧庄内藩は、産業やそこに暮らす人々の気風、精神性に至るまで大きな影響を及ぼしている。

鶴岡市は昨春、庁内に入部400年記念事業準備室を新設。今月18日には、実行委員会が設立総会を開いて発足した。▽地域固有の歴史や文化に対する理解促進▽郷土への愛着と誇りの醸成▽魅力を国内外に広く発信することで交流を拡大―の三つを柱に掲げている。今後、観光やまちづくり、歴史文化など四つの部会を設け、事業の内容を固めていく。

来年は松ヶ岡開墾150年を迎える。さらに旧庄内藩が湯役所を設けてから大きく繁栄したとされるあつみ温泉の開湯1200年の年でもある。これらの記念事業とも連携し、城下町としてのブランド力を高めていく計画だ。

入部400年の筋目を、将来のまちづくりに結びつけようと考えている点は注目に値する。鶴岡市は「城下のまち鶴岡将来構想」の策定を計画しており、未来志向の事業として成果を期待したい。

文化をつくり出すのも歴史を刻んでいくのも人であり、安定した生活が保たれ、優れた人がいる土地には豊かな文化が根付き、誇れる歴史が残る。酒井家入部400年という筋目の年を、豊かな文化と誇れる歴史のまちとしての鶴岡を見つめ直し、次の世代にきちんと引き継ぐ手だてを考える契機としたい。

2020年(令和2年)3月25日(水曜日)山形新聞6面 社説