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九代 酒井忠徳 

酒井 忠徳(さかい ただあり)
酒井家第9代。庄内藩主第8代酒井忠温の三男として江戸で出生。明和3年(1766)12月、従五位下摂津守に叙任。翌年2月、13歳で家督を継いで庄内藩主となった。安永元年(1772)、18歳のときにはじめて庄内に下る。翌2年12月、従四位下。元禄のころより財政が窮乏していたが、経済の抜本的立て直しを企図し、自ら範を示して広く士民に倹約を励行させた。天明元年(1781)、酒田の富豪本間光丘を勝手方御用に命じて財政改革を行い、また寛政7年(1795)には、家老酒井吉之丞、中老竹内八郎右衛門、郡代服部八兵衛、同白井矢太夫を起用して農政改革を実施し徳政を断行した。翌年侍従、同9年(1797)、将軍徳川家斉の世子家慶が朝廷より大納言に任ぜられ、このとき忠徳は幕命を受け奉献の使者をつとめて京都に上る。また士風刷新のため同12年(1800)、白井矢太夫の献策を用いて学問所の設立を指示し、文化2年(1805)藩校致道館を創設。同年9月隠居。書画をよくしたほか和歌・俳諧に長じ、また刀剣の鑑識眼も高かった。

和歌懐紙「いにしへに」(致道博物館 所蔵)