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歴史と文化 知る空間に

2019.10.28-山形新聞(社説)
鶴岡・酒井家墓所 公開の機運
旧庄内藩主酒井家の歴代藩主や当主らが眠る鶴岡市の酒井家墓所を一般公開する動きが本格化してきた。墓所の整備と保存に取り組む一般社団法人荘内酒井歴史文化振興会が発足し、18代当主の酒井忠久致道博物館長が名誉会長に、長男忠順さんが代表理事にそれぞれ就任した。酒井家の庄内入部から400年を迎える2022年の公開を目指す。城下町としての新しいシンボルとなり、重層的な厚みを持つ鶴岡の歴史や文化を実感できる空間となるよう、振興会の活動に期待したい。 そして、市民の支援の輪を広げていきたい。
酒井家の祖は、徳川四天王の筆頭とされた家康の重臣忠次。1622(元和8) 年、3代忠勝が庄内藩主として入部し、廃藩置県に至る1871(明治4)年まで庄内地方を治めた。
墓所は、酒井家の菩提寺大督寺(鶴岡市家中新町)に隣接している。広さは約7270平方㍍。酒井家の個人所有地で、初代忠次から2004年に死去した17代忠明さんまでの歴代藩主、当主と夫人らの墓がある。旧庄内藩ゆかりの松ヶ岡開墾場や荘内神社などの関係者が7月のお盆の時期などに草刈りを行っているものの、広大な敷地の管理には限界があり、公開できる状態には至っていない。墓所の門は閉じられ、塀に囲まれていることもあってか、その存在を認識していない市民も少なくないという。
墓石の一部には、中国古来の四神の一つ玄武に由来する亀のような形をした台座が用いられている。旧鳥取藩主池田家墓所(鳥取市、国指定史跡)でも同様の台座がみられる。鳥取県のホームページ(HP)によると、中国の皇帝は地位の高い家来にこの台座を使うことを許可したとされ、江戸時代、徳川家がこれに習ったとみられる。同県文化財課によれば、池田家墓所は一般公開され、ガイドスタッフが配置されている。年間約9千人が訪れるといい、彼岸の時期には灯篭会が開かれ、267基ある灯篭に一斉に火がともされる。幻想的な雰囲気に包まれ、毎年、多くの人が足を運んでいる。
米沢市には国指定史跡の米沢藩主上杉家墓所 (上杉家御廟所)があり、観光地としての知名度も高い。御霊屋とも呼ばれ、市民の敬愛の対象ともなっている。
これらの例を挙げるまでもなく、旧藩主家の墓所は重要な歴史的遺産であり、城下町としての観光資源ともなり得る。酒井家墓所に光を当て、新たな価値を生み出そうとする荘内酒井歴史文化振興会の活動には大きな意義がある。振興会は今後、案内看板や防犯カメラの設置、傷んだ墓石の修復、設備の補修、外観の整備、除草などに取り掛かる。来月にもHPを開設する一方、法人や個人を対象にした会員の募集を始める。会費以外の財源確保策も検討している。
鶴岡市は今春、政策企画課内に酒井公入部400年記念事業準備室を新設した。シンポジウムや祝賀パレード、記念花火大会などの事業を想定している。
入部400年の2022年を一過性のものとせず、酒井家を抜きには語れない鶴岡の歴史や文化をさらに掘り下げ、磨きをかけて新たな価値を創造する「きっかけの一年」と位置付けたい。
2019-10-28 山形新聞(社説)掲載より