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「面白い」かは自分次第

「大阪にはうまいもんがいっぱいあるんやでー♪」
ある晩、家族で回転寿司店に行ったら、隣りの席の子どもが歌っていた。
もちろん、うちの子どもたちも一緒になって大合唱。
「こら、やめなさ~い!」と叱るものの、まあ、そうなりますよね。
その後、メロディーが鮮明に頭に残り、私も一緒に何度も口ずさんでしまっていた。

「大阪にはおもろいもんがいっぱいあるんやでー♪通天閣 くいだおれ 吉本新喜劇♪ なんでやねん!」(「大阪うまいもんの歌」※色んなバージョンがあるようです)

昨年、出張で大阪を訪れる機会があって、確かにうまいもん、おもろいもんがいっぱいあった。そして、そこで出会った人たちはまさにおもろい人たちだった。あんなに腹を抱えて笑ったことは近年なかったな。普通に話をしていると、「まじめか!」とツッコミが入る。ちょっとしたカルチャーショックを受けたのだが、私は「おもろい人」にとても憧れ、自分もかくありたいと思っている。

先日、ある会合で講話をする機会をいただいた。酒井家の歴史の話が主体だったが、お堅い話だけでは面白くないと思い、この日の注目ワードとしてニュースに取り上げられていた「サカイマッスル」を話題にした。

「最近、私も身体を鍛えておりまして。それが何と今日のニュースになっていたのです。サカイマッスル。皆さま、ご存知ですか?」…会場は「シーーーン」。この日の夕方のニュース、大阪メトロの外国語版ホームページの「堺筋線」の英語表記が自動翻訳の誤訳のまま、「サカイマッスルライン」となっていたというもの(正しくはサカイスジライン)。このことを説明してやっと「へぇ、そうだったんだ、マッスル」的な雰囲気になったのではあるが。またつまらぬ話をしてしまった…と後で反省したのである。同じサカイとしてはタイムリーな話だったものだからつい。モンキー・パンチの漫画ルパン三世の石川五エ門のセリフ「またつまらぬものを斬ってしまった…」的な後味の悪さが残ったのであった。

余計なサービス精神が私を突き動かす。もちろん時と場所、場合によっては無理に面白くする必要などまったくないのである。わかっているがやめられない、とまらない。

以前、大学で講義をする機会があり、その事前準備として、著名な元大学教授からご指導をいただいたことがあった。数日間マンツーマンでご指導をいただいたのだが… とにかくすべてが難しい。「これを学生が理解するのは無理ではないですか?」と尋ねたら、「学生に無理に理解させる必要はないのだ」という回答。そして、「講義には面白さは必要ないのだ」と。その時の私は話が難しくて面白くなければ人は誰も聞いてくれないと思っていた。今でも実はそう思っているのだが、それは浅はかなのかもしれない。

中国明代の儒学者である呂新吾(ろしんご)の『呻吟語(しんぎんご)』には「深沈厚重(しんちんこうじゅう)是第一等素質」とある。第一等の人物とはどっしりと落ち着いて深みのある人。さっき会ったのにまた会いたいと思わせるような余韻の残る人。厚みのある温かさは人を惹きつける。どっしりとして重みのある発言は人を安心させる…。ただ単に面白く、面白く…では深沈厚重に反するのかもしれないな。

幕末の志士高杉晋作の辞世の句に「面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり」とある。その意味は「面白いと思えることのない世の中を面白く。ただそれを決めるのは自分の心もち次第である」。面白い!と判断するのは他の誰でもない自分自身。要は自分次第、そしてあなた次第ということか。
さて今回も…「最後までまじめか!」と大阪の友人からツッコミが入りそうです。

 2019年(平成31年)4月21日(日曜日)山形新聞 総合2面 日曜随想11-④