一一代 酒井忠発
酒井 忠発(さかい ただあき)
酒井家第11代。庄内藩主第10代酒井忠器の長子として文化9年(1812)江戸で出生。文政9年(1826)12月、従五位下摂津守に叙任。天保4年(1833)12月従四位下に昇る。天保13年(1842)4月、31歳で家督を継いで庄内藩主となった。翌年6月、幕府より印旛沼疎水普請を命ぜられ、多額の費用を捻出し、人夫を多く派遣したが、同年9月に免ぜられた。弘化元年(1844)4月には大山公領地の百姓等が非政を幕府に訴えるといういわゆる「大山騒動」が発生。同年11月、公領地は酒井家が引き継ぐことになって落着した。弘化年間以降、異国船の出没に対応して庄内の海岸防備と軍備体制強化に力を尽くし、嘉永元年(1848)侍従、安政元年(1854)品川湾第5砲台の守衛を命ぜられた。同5年(1858)世子忠恕夭折。文久元年(1861)隠居して弟忠寛にあとを譲ったが、翌2年急逝につき、10歳の四男忠篤に家督を相続させて隠居。その後も幼小の藩主を支えるため政治に関与した。