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一三・一五代 酒井忠篤 

酒井 忠篤(さかい ただずみ)
酒井家第13代および第15代。庄内藩主第11代酒井忠発の4男として嘉永6年(1853)庄内で出生。文久2年(1862)叔父忠寛の遺領を賜り10歳で家督を継ぐ。翌年、江戸市中の治安を保つために江戸市中取締を命ぜられた。元治元年(1864)江戸長州藩邸、慶応3年(1867)江戸薩摩藩邸の接収を命ぜられてその任を果たした。翌明治元年(1868)3月、家臣とともに庄内に引き揚げ、戊辰戦争で薩長軍と戦火を交えたが、9月に帰順降伏。忠篤は上京を命ぜられ、東京芝清光寺にて謹慎。家督を弟忠宝に譲り、家名は存続した。明治3年(1870)10月、兵学修行のため、藩士70余名とともに鹿児島へ出発、翌年3月まで同地で西郷隆盛等の教導を得た。明治5年(1872)西郷の薦めでドイツへ兵学を学ぶために留学し、明治12年(1879)帰国。明治13年(1880)弟忠宝が、忠篤への再家督を朝廷に請い、許された。同年2月、大納言徳川慶頼の3女鎮子姫を夫人に迎える。明治14年(1881)より菅実秀の指導を受け、また遠藤厚夫より尚書・論語等講義を聞くほか、余暇をみては昼となく夜となく旧臣有志の人々とともに実学の講究を怠らなかった。明治17年(1884)伯爵を授けられた。明治18年(1885)酒田本間光美の勧めによって株式会社米商会所を創立。明治23年(1890)三矢藤太郎、赤沢源也らに「南洲翁遺訓」を編纂させ、1,000余冊を刊行して広く全国の同志に頒布した。

肖像写真(致道博物館 所蔵)