一四代 酒井忠宝
酒井 忠宝(さかい ただみち)
庄内藩主第11代酒井忠発の5男として安政3年(1856)庄内で出生。明治元年(1868)12月、戊辰戦争の罪にて兄忠篤が謹慎し、城地を一旦召し上げられた。出格の家柄ということで忠宝が家督を継ぎ12万石を許されたが、会津若松12万石への転封を命ぜられる。翌年、再び今度は磐城平への転封の命があったが、領民の反対運動もあり中止となった。70万両の献金を命ぜられたが、40万両を治めて落着した。明治6年(1873)法学修行のためにドイツに渡り、兄忠篤とともに明治12年(1879)に帰国。帰国後、明治13年(1880)に兄忠篤に家督を譲り、大宝寺の邸宅に隠居した。