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一〇代 酒井忠器 

酒井 忠器(さかい ただかた)
酒井家第10代。庄内藩主第9代酒井忠徳の次男として江戸で出生。享和3年(1803)従五位下摂津守、文化2年(1805)9月に家督を相続して庄内藩主となった。同4年(1807)従四位下に昇任。同年6月、松平伊豆守(信明)の娘亀代姫を妻とする。また同年には幕命を受けて蝦夷地警備のため藩士300人を同地に派遣した。文化8年(1811)9月、中老水野重栄らを起用、酒田の本間光道を政務に参与させて新政を行い、倹約令を施行して緊縮農政の徹底をはかり、また同13年(1816)には政教一致のため藩校致道館を御持筒町から馬場町十日町口に移転してその施設を拡充した。文政4年(1821)11月侍従、翌5年の4月および天保8年(1837)9月にはそれぞれ朝廷への使者となって京都に上り少将に任ぜられる。同11年(1840)11月、幕府より越後長岡への転封を命ぜられたが、善政を慕う領民挙げての阻止運動が効を奏して、翌12年7月、ついに幕命は撤回。のちに天保義挙と称された。同13年(1842)4月、隠退して左兵衛督。

酒井忠器肖像(模写)(致道博物館 所蔵)