二代 酒井家次
酒井 家次(さかい いえつぐ)
酒井家第2代。徳川四天王の筆頭酒井忠次の長子として三河国に生まれる。天正3年(1575)5月、12歳で長篠の役に出陣。敵の侍大将を討ち取って徳川家康より「家」の一字を賜り家次と名乗る。天正16年(1588)11月、家督を継いで三州吉田城3万石、同18年(1590)8月の北條氏降伏後の小田原城受取役の任を果たして下総碓井3万石に移る。文禄2年(1593)豊臣秀吉の朝鮮出兵の折には九州名護屋に出陣、慶長9年(1604)12月、上州高崎に封ぜられて5万石となり、同11年(1606)江戸城改築に際し本丸石垣工事の任に当たって、翌12年に左衛門督と称する。同19年(1614)将軍秀忠に従って大坂冬の陣に参戦、翌元和元年(1615)夏の陣では先鋒となり、左軍の将として天保寺口で大いに敵を破った。同2年7月松平忠輝が罪により封地越後高田を没収されるとその受取役となり、代わって高田10万石に封ぜられた。