致道博物館 昭和25年(1950)、酒井家第16代酒井忠良(ただなが)が地方文化の向上発展のために土地建物および酒井家伝来の文化財などを寄附して致道博物館が設立されました。
「致道」の名称の由来は、旧庄内藩校「致道館」によるものです。致道博物館では典籍、版木、祭器など多くの藩校資料の保存と、藩学の伝統を主とした古典研究も行われています。
酒井家は徳川四天王の筆頭酒井忠次を祖とし、第3代忠勝が元和8年(1622)に庄内に入部してから明治の版籍奉還以降もこの地に居住しています。歴代当主は産業経済の振興と徳化に努めて、豊かな国づくりに尽くしてきました。庄内は古来より鳥海山、月山等の山々に囲まれた米産地として知られ、海の幸、山の幸にも恵まれた豊かな地域です。このような歴史的伝統と自然環境によって、地域的特色を持つ独特の文化が培われてきました。
致道博物館の敷地は鶴ヶ岡城の三の丸にあたり、古くは庄内藩の御用屋敷があり、現在は幕末に建てられた藩主の隠居所である御隠殿とよばれる建物の一部が残っています。奥座敷から望む古庭園は作庭年代も古く書院庭園として国の名勝に指定されています。明治時代を代表する擬洋風建築である旧西田川郡役所および旧鶴岡警察署庁舎、江戸時代創建の湯殿山山麓田麦俣民家・旧渋谷家住宅、これら3棟が国重要文化財として移築保存・公開されています。
致道博物館は地方博物館として地元に立脚して、この地域の歴史と文化の特色をお伝えしています。
〒997-0036 山形県鶴岡市家中新町10-18
https://www.chido.jp/
庄内藩校致道館
酒井家第9代酒井忠徳(ただあり)が退廃した土風を刷新して藩政の振興を図るために文化2年(1805)に創設した藩校です。
当初は現在の鶴岡駅前通りにありましたが、政教一致の趣旨から文化13年(1816)、第10代忠器(ただかた)によって鶴ヶ岡城三の丸内に位置する現在地へ移されました。約1万5千平方メートルの広大な敷地には、現存する建物の他に神庫や養老堂、句読所、舎生の寄宿する本舎などの学舎が建てられ、武術稽古所、矢場や馬場までありました。
明治6年(1873)に廃校となるまでの約70年間、致道館は、全国の藩校の中では珍しく徂徠学(荻生徂徠(おぎゅうそらい)の学風)を重んじ、武土道を体得し、教学・個性の伸長など庄内藩士の精神的支柱を形成し、互いに切礎琢磨して多くの人材を輩出しました。
国史跡
〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町11-45(史跡旧致道館-管理事務室)
https://www.chido.jp/chidokan/
松ヶ岡開墾場
明治維新後の明治5年(1872)、旧庄内藩士3千人が刀を鍬に持ち替え、広大な土地を開拓し、産業振興に貢献した歴史を伝える松ヶ岡開墾場。広大な開墾地の中心地には開墾本部として使われた「本陣」や瓦葺上州島村式の三階建の「大蚕室」5棟が現存します。
国史跡
〒997-0152 山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡29
https://samurai-yukarino-silk.jp/