一二代 酒井忠寛
酒井 忠寛(さかい ただとも)
庄内藩主第10代酒井忠器の九男として天保10年(1839)庄内で出生。長兄忠発の嗣子忠恕早世のため、万延元年(1860)12月従五位下摂津守に任ぜられた。文久元年(1861)8月忠発隠居の後、家督を継いで庄内藩主となり12月に従四位下に昇叙。しかし、翌年、麻疹が大流行し、忠寛もこれに罹る。文久2年(1862)、鶴ヶ岡城にて24歳で逝去。
酒井 忠寛(さかい ただとも)
庄内藩主第10代酒井忠器の九男として天保10年(1839)庄内で出生。長兄忠発の嗣子忠恕早世のため、万延元年(1860)12月従五位下摂津守に任ぜられた。文久元年(1861)8月忠発隠居の後、家督を継いで庄内藩主となり12月に従四位下に昇叙。しかし、翌年、麻疹が大流行し、忠寛もこれに罹る。文久2年(1862)、鶴ヶ岡城にて24歳で逝去。